鍵盤楽器と五線譜へのヘイト

ピアノは結局続かず、鍵盤とドレミファソラシドの対応とほんの少しの譜読み能力が残ったぐらい。ピアノと五線譜を学んでいくに従って鍵盤というインターフェイスへのヘイトが溜ったというのが地味におおきい。

どういうことか?

鍵盤は半音が平等ではない

平等ではないというのは、白鍵と黒鍵とに全音階を前提にして別れているという意味。鍵盤の見た目が直感的に全音階と対応して機能しているのはハ長調(Cメジャー、またはイ短調=Aマイナー)だけである。ピアノ鍵盤の移調弾き自体は現代だと一般的で「できて当然」みたいな感じだけど、どう考えても「C調楽器で移調弾きする」という特殊な操作である。

鍵盤自体は12平均律以前から存在するので歴史的経緯ではあるが現代で学ぶにあたって障害でしかないと思う。小学生が初めて触る楽器は鍵盤ハーモニカであるが、教育上も害があると思う。白鍵も黒鍵も含めて隣あう同士の鍵が半音間隔であるというのはピアノを改めて学習しようとするまで知らなかったし。「黒鍵」はほぼ小学校では使わないので、謎の存在である。

本来平等であるオクターブ内の12音に差がつけられているというのはかなり気持ちが悪い。単に基準が異るだけのという性質の「キー」によってフォームが変化し「弾きやすさ」が変化するというのはおかしい。しかもハ長調楽器のくせに「黒鍵を使わないからハ長調は弾きにくい」みたいなバカみたいな状況になっている。欠陥でしかない。

欠陥でしかない鍵盤を「うまく扱える」という特殊技能がピアノ演奏の大きな要素をしめているのは単純なことを不必要に複雑化していると感じてしまう。この「不必要に複雑化している」というのはエンジニアとしては本当に嫌な感覚である。

五線譜も半音が平等ではない

「ドレミファソラシド」のインターバルが均等ではないということは学校でやったんだろうか? やったにしても最初から目にする五線譜の縦の位置が音高と対応していないのはかなり非直感的であり「音程」をイメージして理解するのを阻害している。歌うときの練習も楽譜を見ながらやるが、ミファ・シドを跨ぐ場合半音が含まれているということを楽譜を見ながら意識して音高として認識するのは不可能である。

五線譜は役割からすると全音階を表記するのに特化しており、調の指定と共に移動ドで使うなら直感的といえる。これが臨時記号と共に「音高」表記に流用されているというのがややこしい要素の1つだと思う。


(ちなみに検索すると同様の問題意識からムトウ記譜法 クロマチックノーテーションというのがあり、この表記方法はかなりマトモである)